高校時代ヨネクラジムに通っていた私は当時、岡崎、宇野丸と言ったプロの6回戦、8回戦の選手とたまたま良いスパーリングをして実力を認められたのか、練習生の中では練習開始と終了に全員で行う体操を責任持って行う役割だった。
ある日、松本トレーナーに「二日後の昼1時に柴田とスパーリングしろ」と言われた。
柴田国明さん。メキシコの英雄ビセンテ・サルディバルをメキシコで下しフェザー級チャンピォンとなり、Jライト級ではベン・ビラフロアーにハワイで判定勝ち。更にJライト級でアルレドンドを破って三度世界を取った天才と呼ばれた名王者。アルフレッド・エスカレラとの防衛戦を1ヶ月後に控えた円熟期。
その数日前に柴田さんのスパーリングを目の前で見た。岩本弘行さんとか当時の新人王クラスを相手に打たせてカウンターを取っていた。果敢に打ってくる相手のパンチを1発1発キャッチボールのようにブロックで受けてその受けた手でカウンターを見事に返す。隙を見て打つ左ストレートが残酷なほどに強くて早い。
今、昔の試合をビデオで見ても小刻みなスリップと鋭いショート連打、左のボディアッパーから顔へのフックの2段打ちは機械の様に精密で、神の領域と思える日本人離れしたボクシングだ。
その柴田さんとスパーリングとは、驚いたし凄い事になったと思った。
翌日学校で担任の先生にその事を話し、早退の許可をもらった。
担任の先生は「理由が理由だけに、このことはおまえと俺だけの内緒にしよう」と言ったが、すでに同級生には話してみんな知っていた(笑)。
スパーリング当日、1時になってもチャンピォンは来ない。先に自分の練習を行った。練習が終わり汗も乾いて只待つだけの時間...3時になろうとしている。前日も緊張であまり眠れなかった。このまま来ないでスパーリングやらない事になるかも...残念な気持ちとホッとした気持ちが入り混じった複雑な感じだ。その時、「こんちわ~す!」と甲高い独特なチャンピォンの声!
私はパートナーの一番手でリングに入った。
出せる力を全て出すべく距離をとって得意な左ストレート、ジャブをガンガン打った。30発ぐらい打ったが1発も当たらない。そしてその間を縫うように打ってくるチャンピォンの左ジャブが2発、3発と全てアゴをとらえて来る。ガード固めてジャブから右ストレートボディを打ったらボディが当たった。今だとばかり左ボディアッパーを打って出た。チャンピォンは待ち構えるように右フックを顔に合わせて来た。絶妙なタイミングでその右フックが鼻の角に入り、私はダウンした。
鼻血を出して倒れている私を救うようにエディ・タウンゼントトレーナーがリングに入り「ムチャヨ、ムチャヨ!」と言ってスパーをストップした。
リングでは何事も無かったように、チャンピォンが2番手の人とスパーリングを続けて行っている。
翌日練習が終ってシャワーを浴びていると、後ろで松本トレーナーと川島トレーナーが柴田さんにひそひそと話している声が聞こえる。
「倒されて落ち込んで元気が無いようだから元気付けてやれ。」
柴田さんが自分の側に来て
「元気だしなよ。昨日は打って出て来たところを合わせたからいいのが入っちゃったけど、スピードもあったし落ち込むこと無いよ。」
「はい、ありがとうございます。」
松本トレーナーは、
「13年間ボクシングをしているチャンピォンに負けて当たり前。要は経験をしてこれからどう生かすかだ」
私は、自信喪失して落ち込んでいた訳ではない。最初から圧倒的な差がある事だってもちろん承知していた。
私が思うところは、‘あの打たれたパンチが世界チャンピォンのパンチではなく、絶対に負けられない後輩のパンチだったら同じパンチでも倒れただろうかと言う自分に対する疑問‘ である。
今ここで負けたら人質に捕らわれている家族が殺されると言った追い込まれた状態で、同じパンチで倒れただろうか?
大好きな彼女が見ている前だったら倒れただろうか?
ボクシングは多分にそう言うメンタル的なところで踏ん張れたり自分を超えられる要素があるし、常に自分を叱咤し成長させる必要が有ると思う。
世界チャンピォンとのスパーリングはそう言う精神論を考えさせてくれた、良い経験だった。