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ボクシング体験談

 
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岩本弘行氏のサイン

私が高校3年間ヨネクラジムでボクシングの練習に励んだ頃、一番練習熱心で若手の模範だった岩本弘行氏を帝京大学の古井先生と滝沢先生が当店に連れて来て下さいました。

私が高校3年の時はヨネクラジムの全盛期で岩本弘行さんを含め新人王がその年に5名も誕生しました。日本チャンピォンに岡野さん、東洋チャンピォンに辻本さん、世界チャンピォンにガッツ石松さんがいて、春までには柴田国明さんが世界チャンピォンに君臨していました。

スパーリングをした宇ノ丸さん、岡崎さん、佐々木さん、優しかった小出さん、法政大に行って全日本チャンピォンになった高橋君等、当時のヨネクラジムの私にとって懐かしい選手達や昔のボクシングの話で盛り上がり、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

そして現在のボクシング事情等も横の繋がりで共通の話題も有り、新鮮で楽しい内容でした。

青春の思い出の人と会う機会を与えて下さった古井先生、滝沢先生、ありがとうございました!

週末、ボクシングの練習をしに上中里コミュニティー会館に向かう途中、電車の中でいつもバンテージを巻いている。

まずはバンテージをせっせと丸めて行く。十条から赤羽を経て京浜東北線の東十条までの間に丸め終わる。
バンテージを丸めるまでは家でしっかりと準備してくれば良いものなのだが、相変わらず大ざっぱでだらしないと我ながら思う。
次の王子、上中里の間にバンテージを手に巻き終える。

突然始める異様な作業に周りは驚いているかも知れないが、練習の開始を遅らせたくないので毎度関係なく涼しい顔でバンテージを巻く。

まてよ?これって電車の中でよく見かける女性が化粧をするのと根本は似てるんじゃないか?

寝言

一昨日の夜中、突然目が覚めた私は隣でテレビを観ていた女房に、満面の笑みを浮かべながら「朴善弘(パク・ソノン)日本チャンピォンになった!」と嬉しそうに報告した。

「寝ぼけてるの?」と女房に聞かれ「ん?ん?」と言いながらまた寝てしまったそうだ。

朴善弘、李泰日、黄日出、朴金哲、全東律、鄭賢峰、高京敏・・・かつて私が大学のボクシング部コーチをしていた頃、無謀と言えるほど寝る時間を惜しんで指導した記憶に残る選手達。
協栄ジム、拓殖大学等出稽古にもよく連れて行った。

あれから二十数年の月日が経とうとも今なお夢に出て応援している自分。
自分にとってもあの頃が一番熱い青春だったんだと寝言を通して確認した。

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先日当練習会のメンバーが、ジムに行って習ったことをスパーリングで使ってみたら、余りの効果に自分も驚いたけれど相手も驚いて、会長も上手くなったと褒めてくれたと喜んでました。正に指導者としては冥利に尽きるところです。

今も4名程参加したいとメッセージが来ますが、実際に参加にまで至る人は少ないです。

高架下と言う屋外での練習、朝の練習と言う事で気が引けてしまう人もいるかも知れないが、本当に上手くなりたいし強くなりたいと思う人にはそんな事関係ないようだ。試合のあるプロの選手は最高の朝練と喜んでいるし、まだ5回程度の参加で一通りの技を習得してしまった熱心な子もいる。
「できな~い。むずかし~い!」とか言いながら全部こなしてしまう女性もいる。

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シュートの元世界チャンピォンでブラジルでグレイシーに勝った選手も短期集中で参加したが、一通りの練習の中からこれだと言う技を見出して身につける集中力が凄い。

後に総合格闘技の日本チャンピォンになった選手も長期で黙々と練習に参加していたが、練習が終わった後に仲間と練習の復習を延々とこなしてから帰るのには驚いた。

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しかしチームメンバーや新規参加者に聞くたびに驚くのが、ジムに通ってもあまり教えてくれないと言う事実だ。ひどい所は教えてくださいと頼むと面倒くさがって怒るそうだ。
いくら年齢が行き過ぎていても、全くの素人でもボクシングが好きで始めようとしているのだから歓迎すべきであり、教えるのが仕事で有る以上責任持って教えるべきだと思う。

私が手取り足取り教えているのを見て、出稽古に行った先のジムの選手達も驚いて立ち止まって様子を見ている。
以前大学のコーチをしていた頃に出稽古に行ったジムでは、そこのプロ選手に個人指導を頼まれた事が何度かあった。
ジムに通いながらも迷子になっているボクサーが気の毒である。

boxingの技習得で練習参加メンバーに役立つことが、今の自分の「やりがい」となっている。

 
私が母校のボクシング部監督をしていた頃の話である。

監督経験も3年目に入り、大会で優勝するのも当然と言う雰囲気が部の中に漂い始めていた頃で、選手達もしきりに勝ち方にこだわり始めていた。 
私も3年連続優勝を確信しながら有頂天になっていた。
こう言うときには必ず手痛いしっぺ返しを受けるのが、世の常と言うものである。
今、思い出しても赤面してしまう出来事とは・・・。
 
私は高校のボクシング部の監督だったので、只単にボクシング部を強くするためだけではなく、教育的な立場で選手を指導しなければいけなかった。
もちろん才能があっても不まじめな選手よりも、才能がなくてもまじめに練習に取り組む選手の方を生かすように指導した。
だが、この年の1.2年生達は特に素直で、技術指導をすると目を輝かせて聞き入る”ボクシング大好き少年”が多く、彼らを気に入ってた私は、受けを狙ってつい”裏技”なるものを教えて得意がっていた。
 
その中の一つに、

相手からダウンを奪った時、レフリ-の指示したコ-ナ-で待機するが、カウント8になる頃にレフリ-の真後ろにそっと近づき、ダメ-ジを追った相手選手の視界から完全に隠れておく。そして「ボックス」の声と同時にレフリ-の死角から突然飛び出し連打する。見えないところからいきなり飛び出して驚かせ、パニック状態にする。

と教えた事があった。

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もちろんこれは、レフリ-が「ボックス」と言う前に両選手を確認すれば出来ないし、相手セコンドの抗議があれば、レフリ-も気が付く事である。
だが好奇心旺盛で練習熱心な我が選手達は、その年の大会でこの裏技を見事に実践し、そして成功させた。しかも私がレフリ-の時に!

レフリ-の”死角”を利用された私は、レフリ-の”資格”が無いと嘆く羽目となった。

練習時以外にシャドーボクシングをついやってしまう事が有る。

ある環境が揃った時。
その環境とは傘を手にした人がゴルフのスウィングをしてしまう時と似ている。
そしてダンスに夢中の人がつい踊ってしまうのとは更に似ている。

NO1. 駅のホームで電車を待っている時

NO2. 道で信号待ちしている時

NO3. トイレの手洗いの鏡が大きい時

NO4. 授業中

NO5. 電車の座席でボクシングの想像の世界に入り込んだ時

さすがに4と5では肩がピクピクと動く程度だが、歩きながら「シッ!シッ!」と言いながら歩く危ない奴、小刻みなスリッピング(頭を振って相手のパンチをかわす)をしながら歩く奴、人ごみがやたら好きでサイドステップをしながら人をかわして歩く奴。

こうなると殆どボクシングジャンキーである。

私に至ってはフライフィッシングでヤマメがフライをくわえた途端に合わせるタイミングを、相手のパンチをよけて打つタイミングに見立てて実践している。
協栄ジムが新大久保の明治通り近くに有った頃、よく大学生を連れてスパーリングの出稽古に行った。

当時はロシアの選手が活躍していて、ユーリ・アルバチャコフやグッシー・ナザロフが世界チャンピォンだったと思う。

協栄ジムの壁にはユーリがストレートを打っている写真が貼られていた。

シャドーボクシングでコークスクリューストレートを打っている拳の先がアップで写っている。

ひねり過ぎて拳の小指部分が斜め上天井方向に向いている。

その写真をじっと見つめている私に、大竹トレーナーが話しかけて来た。

この間違いとも言えるひねり過ぎコークスクリュー写真を貼った訳は、「世界チャンピォンでさえ練習で1発1発を無駄にせず、ひねらなければ!勝たなければ!と強く意識して練習している。その結果がこのひねり過ぎ写真に現れているわけで、練習する選手達にはユーリのその強い思いを学んでほしい」とのこと。

私は、写真1枚に込められた選手の思いと指導者の思いに感動した。

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私が高校生の頃通っていたヨネクラボクシングジムは、その頃が全盛期だった。柴田国明さん、ガッツ石松さんが世界チャンピォンで、辻本章次選手、岡野正治選手と言った有望選手、そして一年に5人の新人王が誕生して昇り竜の如き勢いだった。

私が通っていたこともあって学校の同級生も沢山入門した。

ガッツ石松さんがメキシコのロドルフォ・ゴンザレスを、接戦の末幻の右を放ち劇的なKOで破って、世界ライト級チャンピォンになった翌日の事だった。
同級生4人で練習していると突然石松さんがジムに現れて、ジムがざわめいた。練習着に着替えた石松さんは自分ら4人のいるところへやって来て、
「おまえら今から外一緒に走りに行くぞ!準備しろ!途中で俺を抜けるもんなら抜いても構わないぞ!」
私たちは、昨日世界チャンピォンになったばかりのガッツ石松さんの走る後をついて行った。

高校3年の春、世界チャンピォンとスパーリングをした。

高校時代ヨネクラジムに通っていた私は当時、岡崎、宇野丸と言ったプロの6回戦、8回戦の選手とたまたま良いスパーリングをして実力を認められたのか、練習生の中では練習開始と終了に全員で行う体操を責任持って行う役割だった。

ある日、松本トレーナーに「二日後の昼1時に柴田とスパーリングしろ」と言われた。
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柴田国明さん。メキシコの英雄ビセンテ・サルディバルをメキシコで下しフェザー級チャンピォンとなり、Jライト級ではベン・ビラフロアーにハワイで判定勝ち。更にJライト級でアルレドンドを破って三度世界を取った天才と呼ばれた名王者。アルフレッド・エスカレラとの防衛戦を1ヶ月後に控えた円熟期。

その数日前に柴田さんのスパーリングを目の前で見た。岩本弘行さんとか当時の新人王クラスを相手に打たせてカウンターを取っていた。果敢に打ってくる相手のパンチを1発1発キャッチボールのようにブロックで受けてその受けた手でカウンターを見事に返す。隙を見て打つ左ストレートが残酷なほどに強くて早い。

今、昔の試合をビデオで見ても小刻みなスリップと鋭いショート連打、左のボディアッパーから顔へのフックの2段打ちは機械の様に精密で、神の領域と思える日本人離れしたボクシングだ。

21才の時、試合中に相手の強打でアゴを骨折した。

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その日の試合は減量のきつかったライト級(60㎏)からライトウェルター級(63.5㎏)にクラスを上げて出たせいか、すこぶる調子が良かった。
相手選手は数ヶ月前にうちの後輩に1ラウンドKO勝ちした、強打とラッシングパワーの有る選手。

1ラウンド開始直後、得意の左ストレートボディから右フックをアゴに打つフェイントの先制打がモロに当り、続けた左ストレートも何度も決まって鼻血を出している相手選手の表情がビビッてる様に見えた。それは自分をよりリラックスさせるきっかけとなってくれた。

最終ラウンドは倒しに行くつもりで打って出た。その時、自分の左ストレートを待ち構えていたかのように右のウィービングからの鋭い右ショートフックが飛んで来た。
パンチは見えたが間に合わない。とっさのショルダーブロックや顔を横にそらすような技術は持ち合わせていなかった。グッと歯をくいしばった。「ゴツン」と言う鈍い音とともにマットに横たわってしまった。

小学生の時、父がテレビで観ていたファイティング原田vsベルナルド・カラバロの世界バンタム級タイトルマッチを隣で観た。
カラバロが初回いきなり物凄い右ロングフックを強振して、ダッキングでよけた原田の髪の毛が風圧でチリチリと音をたてたような気がした。その迫力とスピード感に酔いしれ、一気にボクシングのファンになった。

その後、沼田義明vs小林弘の日本人同士初の世界タイトルマッチで、接近しては早いショート連打の応酬で、パッと離れては又接近する両者の忍者のような動きとインテリジェンスなボクシングに感動した。

自分にとって家にいる時の一番の楽しみは、ボクシング遊びだった。
ボクシングの本を開いて覚えた技を繰り返し、相手が目の前にいることを想像しながら、自分なりのストーリーを作って色んな試合をしているつもりで遊んだ。

中学に入ってからは本格的に習いたくなって、駒込にあった中村金雄ボクシング教室に通った。拳聖ピストン堀口と名試合をした中村金雄先生は、昔は近代ボクシングの先駆者的な存在でしたが、自分が学んだ頃にはやはり昔のボクシングと言うイメージで空手のような感じだった。腕の力重視で一定のスタンスで位置移動の少ないボクシングだった。

高校からは目白のヨネクラジムに通った。
本当の基本が知りたくて、松本トレーナーに何度も質問して教わった。水を得た魚のようにどんどん吸収して高校2年の頃には6回戦や8回戦のプロ選手達とも対等にスパーリング出来るようになった。高校3年の時には世界Jライト級チャンピォン柴田国明選手ともスパーリングした。
そしてプロテストにも受かった。
でも自分の実力は自分が一番よくわかる。トレーナーにミットを持ってもらった事も1度しか記憶になく、ピンチの対処法も十分にわからない。スピード、パンチに自信があっても、細かい技が自分には全然足りないのである。
プロライセンスを返して大学で試合をしたが、案の定アマチュアの一流どころを見て驚くばかりで足元にも及ばない。

自分が本当にボクシングの色んな技や戦術を身につける事が出来たのは、高校のボクシング部監督、大学のコーチの経験が有ったからこそで、色んなプロのジムに選手を連れて出稽古に行って覚えた事が一番多い。

今チームに教えているコンビネーション1は、ヨネクラジムの松本トレーナーにじかに教わった。
コンビネーション2はシュガーレイ・レナードがトーマス・ハーンズとの第1戦で終盤ハーンズがピンチになってクリンチに来たところにレナードが打ったショート連打である。
コンビネーション3は鬼塚選手が協栄ジムでうちの大学生に多用し、その効果に驚かされた。
コンビネーション4はヘルマントーレス選手が協栄ジムでジム生に教えていたものを頂いた。そしてそれをうちの選手に教えて、協栄ジムの当時の日本チャンピォンに使ったら、面白いように当たってグロッキーにしてしまった事があった。
コンビネーション5はアマの高校生が使っていたもの。
コンビネーション6は高校のインターハイチャンピォンが使っていた。
コンビネーション7は山梨県の高校の名選手が使っていた。

今、自分の教えるボクシングは、チーム徳を結成した当時よりも確かに進化している。
シャドーボクシングの練習方法がより実戦的になっている。
ボクシングの組み立て方がよりずるく簡単になっている。

今の自分は、私が若かった頃身近に本当に欲しかった存在である。
あの頃(ボクシングの現役時代)に今の自分のような手取り足取り教えてくれる熟練者がそばで指導してくれていれば、自分はもっとボクシングで大成出来たことだろう。

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修羅場

監督をしているボクシングチームの練習会が230回を超えました(2013年3月現在)

私の一挙一動を見逃すまいと目を凝らし練習に参加するメンバー達を見ていると、私自身大好きなボクシングの指導と言うとりえが有り、それを生かせる場所が有って本当に良かったと思う。こんな裏技が有り、こんな戦術が有ると説明する自分の引き出しの多さに、改めて我ながら驚いたりもする。
四角いリングの中で誰の助けも無く対戦するボクシングは、痛い、怖い、疲れるの大変な事だらけだ。平穏無事に生きて来た人達から見ればまさに修羅場である。

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練習がきつければその分試合が楽になると信じて、時には1分でやられてしまうかも知れない時を迎えるために、もくもくと走り辛い練習をこなす。

練習は根性、試合は度胸とも言われる。いくら一生懸命練習しても、それを生かすハートを同時に養わなければ試合では勝てない。

冷静に根性を出すと言う難しさは、やった人間でなければ分からない。

辛い練習を乗り越えて、試合で芸術的な技とリズム、スピードを駆使して勝つ姿は、湖を優雅に泳ぐ白鳥が実は見えない水中でバタバタと必死に足で水を掻いている姿と同じかも知れない。
ボクシングは芸術だと言う人がいるが、技を磨き完成させてスポットライトに照らされリングに上がる姿は、舞台役者が舞台に上がる姿とだぶるものが有る。


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もう駄目だと言う時、それでも絶対に勝ちたいと今まで出した事のない体力と精神力を絞り出して乗り越えた時、人は自分を乗り越えて更に強くなったと自覚する。その姿は見る人に感動を与え、痛み、怖さ、疲れは自分の味方となり対戦相手に与える苦痛に変わる。
こう言うスポーツだからこそ自己改革として、自分に鞭打って飛び込む人が多いのだと思う。
実際に動いて教えられるのがいつまで続くか分からないが、今のメンバー達と一緒に練習する時間を大切にして行きたい。